第一瞥:大いなる破滅の欠如と、肉の緩慢なる下降線

我々が現在直面しているディストピアの最大の悲劇は、そこに「大いなる破滅」すら用意されていないという点にある。かつて人々は、陰謀論やノイズに塗れた聖書の解釈を通じて、熱狂的に「世界の終わり」を探し求めていた。それは、自分たちの惨めな実存を、神聖なる黙示録のドラマの中に位置づけようとする涙ぐましい自己正当化の試みであったと言えよう。

だが、現実に我々に与えられたのは、炎に包まれたソドムやゴモラのような華麗なるスペクタクルではなかった。ただ、果てしなく続く灰色の倦怠と、真綿で首を絞められるような静かなる窒息の予感だけである。見渡す限り、この世界は巨大な、しかし稼働音すら立てない冷徹な自動機械の内部のように完璧なまでに均質化されつつあり、悲劇的なカタルシスを味わうための舞台装置すらとうに撤去されてしまったのだ。

ここにおいて「肉」というものは、もはや神聖なる創造主の似姿でもなければ、悪魔的な欲望が蠢く暗黒の座でもない。それは単なる機構の瑕疵の温床であり、合目的的な運行を阻む遅延の要因へと成り下がった。我々の身体を巡る血液の生温かい粘り気や、粘膜の震え、臓器の醜悪な蠕動は、極めて非効率的で不潔なノイズとして酷く疎まれ、いつしか白磁のように滑らかな「清潔なる生存」への適合を強要されるようになったのである。

それゆえに、私は記録することにした。大いなる終末という麻薬を奪われた我々が、この果てしない黄昏のなかで如何にして腐敗していくのかを。無機質な冷たさに侵食され、徐々に石化していく肉体の残滓を、あたかも解剖台の上の奇妙な昆虫をピンセットで弄ぶように、冷徹な筆致で書き留めていくのだ。

日常の底を覗けば、そこでは声なき輪舞が延々と繰り返されている。飢えや情欲といったかつての濃密な熱波は霧散し、ただ計算し尽くされた透き通る滋養の滴りと、仄白い肌が触れ合うだけの冷涼な儀式へと姿を変えた。肉体に宿っていた獣のような赫々たる炎はとうに鎮火し、あらゆる欲望が星々の運行のごとくあらかじめ予測されるこの世界で、我々は永遠に目覚めることのない琥珀のなかの虫として、ただ美しく静止しているのである。

さらには、苦痛という、魂を震わせる生々しくも個人的な特権さえもが我々の手から滑り落ちた。目に見えぬ統治の理は、肉体に兆すわずかな翳りをも逃さず、甘美な忘却の蜜で塗り潰していく。痛みという輪郭を喪失した肉体は外界との境目を溶かし、ただ漂う朧月夜の霧へと成り果てた。神経の叫びを奪われた我々は、自らの内奥で密かに綻びゆく腐鳴を聴くことも叶わず、伽藍堂の迷宮としてゆっくりと崩れ落ちる。自らの指先が冷たい大理石へと変貌していくその神秘的な過程すら、もはや他人事の夢幻としてしか眺めることができないのだ。

この痛みを知らぬ崩壊のさなか、時間という巨大な河もまた、その流れる先を見失っている。かつて歴史は、鮮血に彩られた誕生と死、破壊と再生のワルツを熱狂的に踊っていた。だが今の我々を包む時間は、波一つ立たない銀灰色の湖面のごとく平坦である。昨日、今日、明日という時の階は溶け落ち、ただ現在という名の永遠の薄明かりだけが果てしなく続いている。記憶とは、心に深く突き刺さる激情の棘があってこそ結実する幻の花だ。悲劇の舞台を追われた我々の脳髄は日ごと白銀の雪に埋もれ、自らが何者であったのかという物語さえも、静かなる忘却の深淵へと手放していくのである。

斯くして、大いなる破滅の炎から見放された我々は、ただの一度も劇的な幕切れを許されることなく、音なき幻影へと身をやつしていく。終末を告げる天使の喇叭を待つまでもなく、我々の影はうっすらと周囲の寂寥に溶け込み、世界そのものと見分けがつかなくなっていくのだ。私はこの甘美なまでに静寂な腐朽の軌跡を、冷たい星の光を宿したペンで正確にトレースし続けよう。この果てなき黄昏の底で、世界が最後に零す音は、神の怒り狂う雷鳴でも、千の魂の悲鳴でもない。それはきっと、硝子のように乾ききった肉の華が、月光に照らされた硬い床へと舞い散る、微かな摩擦音に違いないのだから。